『青梅』の地名の由来

市内天ヶ瀬にある金剛寺の庭の平将門ゆかりの老樹「青梅」(東京都の天然記念物)の実が、秋を過ぎても熟すことなく、青々としたまま枝に残っていることから、この地を「青梅」と呼ぶようになったといわれています

青梅・奥多摩について

青梅市街地の航空写真
 青梅市上空から
西多摩は総面積573平方キロメートルで、東京23区が入ってしまうほどの広大な面積があり、西は大菩薩嶺が聳え山梨県に隣接し、北は秩父連峰が西北に沿って連なり西部山岳地帯の大半は秩父多摩国立公園となっており、郡中央を東西に多摩川が清々と流れ東京湾にそそいでいます。 この西多摩が歴史の上に登場したのは、「日本書記」天武天皇の13年(684)5月の条に「百済僧尼俗人男女併せて武蔵国に置く」と記され、武蔵国分寺の建立は8世妃半ば頃とされています。その国分寺に使用された文字互によっても、多麻郡の存在が明確になり、平安初期弘仁年間(810〜833)頃の書物「日本霊異記」の中でも多麻郡についての説話が出ている。更に承平年間(930年代)に編纂された「倭名類聚抄」の郷里の部に多麻十郷があげられ、多麻十郷は武蔵の国21郡中最大であったとされている。 多麻十郷とは、小川、川口、小揚、小野、新田、小島、海田、石津、狛江、勢多とあり、いずれも後の、南多摩、北多摩、西多摩郡に位置する地名があげられている。 その後平安時代末には、律令体制の崩壊により郡郷の制度が解体され、新しい郡名もあらわれ多麻郡は、多東、多西郡になり、以後江戸時代初期17世紀の終わりまで使用されたが、江戸時代になるとまた、多磨、多麻、多摩が混在している時代に戻り、中世を通じて使われてきた「多東」「多西」の郡名も「私称の郡」であったためか定着は、しなませんでした。



青梅市の風物詩

青梅マラソンの風景
マラソン 風景
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青梅大祭
青梅大祭
5月に行われた 青梅大祭の写真です。
山車がたくさん出てすごく賑やかです。